くさつ店OPEN1周年記念講演−岩城敏之− その4 第1部スタート


講演は、すごい状態のなかで行われました。
子どもは、いろいろおもちゃで遊んだり、なんか、ステージの上にのぼったりしています(笑)


第1部は、「発達にあわせたおもちゃについて」というお話でした。


「わたしねぇ、おもちゃ屋さんで生まれたんですよ。」


という軽快な滑り出しは、もちろん、岩城さんの著書を読んでいる人には、きっとお馴染みです。
でも、いい話って、何回聞いても、何回読んでも、楽しんですよね。本物だ。


他の子どもたちから、羨ましがられながらも、おもちゃ屋である親からは、


そんなもので、いつまででも遊んでいるな!」


と言われ続けた子ども時代のお話からはじまって、絵本との出合い。
そして、絵本と同じように大人が真剣に子どもと向き合って作ったおもちゃがあるはずと探し当てたヨーロッパのおもちゃとの出合い。
そんな、いろいろな話が、ユーモアたっぷり、おもしろおかしく話されていきます。


「はじめ見た時ねぇ、わたしビックリしました。これ、ただ単に、ハンマーでこの杭を叩くだけなんですよ。
 それで、たたき終わったらね、ひっくりがえすんですって。
 そうすると、永遠に遊べるっていうんですよ!
 わたし、これ見たとき思いましたね。こんなん、2回もやったら、終わりやん。買ってきて10分で飽きられてしまう。
 おもちゃ屋として、せめて、もうちょっと、遊べるおもちゃじゃないといけないですよねぇ」


とは、ハンマートーイのこと。
では、このおもちゃを見た瞬間、


「お兄ちゃん、これ買って!」


と惚れ込んでいたわたしの妹っていったい……。


「これ、見てください。上から玉を落とせば、坂にそって玉が落ちていって、最後に音が鳴るだけ。
 こんなん、大人が、ずっとしていたらコワイですよ!」


これは、クーゲルバーンのことです。
そして、横から肘でつっつかれて、


「りんさん、そんな大人はコワイらしいですよ〜」


とつっこまれているわたしっていったい……。


「でもですねぇ、これらのおもちゃって、ヨーロッパの基本的なおもちゃなんだそうです。
 基本的なということは、ずっと、遊ばれ続けている、与え続けられているおもちゃということなんですよ。
 わたしは、この基本的なおもちゃということが気になったんです。
 それで、実際に、子どもたちにこのおもちゃで遊ばせてみたんです」


そうすると、子どもたちは、実に飽きずに、楽しそうに、これらのおもちゃで遊んだのだそうです。


そう。わたしたち兄妹は、子どものようなピュアのハートの持ち主なのだよ(爆)


子どもたちの発達段階のなかで、なにかを叩きたい時期というのは、必ずあるのだそうです。そんな時期に、家中のものを叩いてまわるわけにはいかない。
でも、子どもたちがなにかを叩きたいという気持ちは、実は、人間の成長にとって実は意味があるものではないか?その時期の子どもたちは、叩かなければならないのではないか?
「ハンマートーイ」は、そういう思想から生まれてきたようです。


また、「クーゲルバーン」は、このサイトでも何回も紹介していますが、子どもたち、本当に飽きずに何回も、何回も、やります。
それには、こんな説明をされていました。


この時期の子どもたちは、自分がなんでも出来ると思っている。だから、いろいろなことをやりたがる。でも、実際にやってみると、出来ないことも多い。
そんなときに、確実に同じ動きをするクーゲルバーンの様なおもちゃを子どもが遊ぶことによって、子どもは、自信と精神の安定を取り戻すのだそうです。
これは、電気で動くおもちゃのように自動で動くものではなくて、やっぱり、自分が操作した結果、確実に動いていくということが大切なようです。


わたしたちは、もしかして、未発達で、精神が安定していませんか?否定はしないですけどね……。


これは、岩城さんの話ではなくて、何かで聞いた話なのですが、日本のおもちゃの寿命は、3〜6か月しかないものがほとんどなのだそうです。
そうしたなかで、どうしても売れるものは、子どもの欲しがるもの。つまり、動いたり、音が出たり、色が派手であったり、今まで見たことがあるキャラクターものということになります。


ただ、そうやって、「選ばれること」だけを念頭において作られたおもちゃは、「遊ばれる」ことが少しないがしろにされているようです。
おもちゃ自身が勝手に動いて、子どもを遊ばせてはくれるのですが、子どもがおもちゃで遊ぶ余地がとても少ない。だって、動いている電車は、手に触れられることを拒絶しています。


それは、テレビなどのメディアにも言えることだと思います。
たしかに、宮崎駿の映画は素晴らしいかもしれません。たしかに、良質な番組は、あるのかもしれません。
でも、たとえ良質なものであったとしても、やっぱりそれは、自分からかかわっていける種類のものではないのです。


というのは、岩城さんの受け売りかも(笑)


まあでも、「トトロ」を10回1人で見るよりも、保護者と一緒に森を散歩する方が、きっと、子どもにとって幸せになれることなんだと思います。


おもちゃは、大人が選んで子どもたちに与えていくというのは、とても大切だと思います。
ただ、わたしたちの世代って、やっぱり自分たちがジャンクなおもちゃで育ってきたので、おもちゃ見る目も、あんましないのかなぁという気がします。
自分を振り返っても、キャラクターものとか好きですからね。


そうそう、最初に遊んだ「カルテット」にも、ちゃんと意味がありました。
それは、子どもたちがどうすれば、他の子どもたちと仲良くできるのかというお話でした。


子どもが(というか人間が)、他の人と仲良くするには、「イメージの共有」と「ルールの共有」の2つが大切だという話でした。


ルールの1番簡単なものは、順番。
小さい子には、これが理解できない。


「ぼく、ぼく、ぼく……」


で、他の人がやろうとすると、パニックになっちゃいます。
1番最初に理解できる順番は、


「お母さん、ぼく、お父さん、ぼく、お母さん、ぼく、お父さん、ぼく……」


なんだそうです。
つまり、絶対すぐに自分がまわってくる。


なるほど、小さいことゲームするときは、2人でする方が子どもが落ち着く気がしたのは、発達段階だったんですねぇ。


それがやがて、


「ぼく、お母さん、お父さん、ぼく、お母さん、お父さん……」


と、ちゃんと順番が守れるようになってくる。



何人までで上手に遊べるかという目安は、だいたい年齢と同じ人数までなんだそうです。
1歳で、1人。2歳で、2人。3歳で、3人。4歳で、4人。


こういうのは、これからの「ゆうもあ」の活動に、けっこう役立つかもしれませんねぇ。


さて、こうやって、大人たちが、岩城さんのお話に引き込まれている間も、子どもたちの方は、会場をところせましと動き回っています。


ステージに上がって、マイクのプラグを抜いたり……、岩城さんのしゃべっている演台の周りをグルグルまわったり。
そして、それがいちいち、岩城さんの話を証明するという……まあ、岩城さんが、その動きに会わせて、臨機応変に話されていたということもありますが……。


すごい。


そのあと、子育て相談なんかもあって、いよいよ、第2部の「つみきあそび」です。