きっと誰も彼も 喜々として死んでしまうに違いない


自らが呪われた存在だと知りながら、それでも神に忠誠を誓い、救われないと知りながら、喜々として自らの義務を果たす。


本来なら、狂信の先には、「救い」があるはずなのに、それすらない。
それなのに、彼らは、何を求めて狂信するのか?


ということで、熱心党の人たち、とくにアンデルセン神父に1票。