9月おてばん その2 推理における論理性と倫理の問題について

ドメモ(ピラミットカードゲーム)


さて、今回の「おてばん」のメイン・イベントは、多人数プレイの「看板娘」です。
ただし、これを遊ぶためには、会場をすべて使って、参加者全員が参加しなければなりません。


来たときからはじまっていた「ドスリオス」は、まだ続いております。


「どれぐらい続きますか?」
「うーん、そろそろ終盤」*1


じゃあ、時間あわせということで、軽いゲーム「ドメモ」です。


「ドメモ」は、わたしのとっても、オススメのゲームです。
と言っても、「ピラミットカードゲーム」がないので、実際のところオススメできないのが残念です。
実は、子どもにも遊ばせたいと思っています。


前に、妹と妹の旦那、兄貴なんかと遊んだときは、「ダミー」のカードで遊びました。1番このゲームが、ウケがよかったような気がします。
ただし、「ダミー」のカードで「ドメモ」をすると、「1」とか「2」とかのドキドキするカードがないので、そのあたりが、ちょっと不満です。


このゲームですが、重要なのは、人がなんの数字を言って間違ったかです。


1番わかりやすいのは、「1」なのですが、例えば、わたしが、


「『1』」


と言って、それが間違えだったとします。
わたしが、「1」と宣言したということは、他の人の頭の前には「1」のカードは必ずないことになります。
そうすると、「1」は手札ではなく、ふせられたカードのなかにあることがわかります。


こうして、ふせられたカードの中身を1つずつ推理していけば、おのずと自分の頭の前のカードがなにかは、見えてくるのです。


じゃあ、相手が「7」とかのカードを間違った場合は?
今、すでに宣言されて取られたカードと人の頭にあるカードをあわせて6枚ならば、自分の頭にあるカードには、「7」は入っていないはず。
ということで、ふせられたカードに「7」が入っているの確定。


「6」ならば、5枚。「5」ならば4枚。……。


こうやって、1つ1つの謎を解いていくのだよ。
これで、あっているはずですよねぇ。ちょっと自信がなくなってきた(笑)


だから、あんまり他のプレーヤーにふせている数字を確定させてしまうような「1」とかは、序盤にいわない方が、いいのかも。
うまくいけば、誰かが宣言して沈没してくれるし。
ただ、


「『1』」


と言うのは、実はけっこう気持ちよかったりします。
あと、すごい数えやすいし、ついつい言いたくなってしまうのだな。


失敗しやすいのは、情報がなにもない序盤とか。
ふせられたカードが「7」、「7」、「6」とかで、自分の頭の前に「7」とか「6」のカードがないと、悲惨なことに……。
あと、カードが少なくなってきて、確率が1/2とかになってきたとき。


「これか?あれか?どっちかや!」


序盤のミスはしかたないにしても、1回間違えると、勝てなくなっちゃうので、この選択を間違えると、とっても、悔しいです。


とまあ、こんな感じのゲームなのですが、時には、


「『1』」


とか宣言して、よく見たに人の頭の前にあったとか、そういうこともあります。
人からも見えているので、


「えーっ!」


とか言われたり、思わず自分で、


「しもた!」


とか言うので、あんまりフェイクにはなりません。なっても、1人にしか効かないから、ほとんど意味ないか。


あと、「7」とか宣言した人の頭のカードを取るときに、取る人が、


「どのカードを取ろうかな」


と迷うと、「7」が複数あるということが、その人にバレることもありますので要注意です。


えーと、カードを配る役をしてくれている人が、1回ごとに、


「表を見ないように」


と注意をしてくださっていました。
1人でも見てしまうとゲームにならなくて配り直しですからねぇ。


「はい、表を見なすように」


ん……。



「はい、表をみないように」


なんだか……。


「なんか、オレばっかり、注意しされている気がするのですか?」


「うんうん。見ないようにね」


やっぱりそうか(笑)。
教えてもらったばかりのとき、ちょっとゲーム会終了前近くで頭が働いてなくて、3回ぐらい表を見た記憶と、7月の「おてばん」でも、1回表むけてしまった記憶が……。


き、今日は、ちゃんと起きているもん!


かわい子ぶっても、ダメですか?
まあ、言われ続けたので、大丈夫だったという説もありますが。


今回は、1回あがれたので、よしとしよう。
あがれると、すごい満足感があります。


やっぱり、ピラミットカードゲームは、買いに行かないとダメだな。
ピラミットカードゲームじたいは、まったくする気がないという……。

*1:この会話、何日かの間覚えておいてください